ネジマキの映画感想

旧作、新作、関係なく観た映画の感想を書いています。

DCヒーロー映画『マン・オブ・スティール』を観た!

私はスーパーマンに詳しくは無いですが今回の作品の予告編を観て「これは面白そうだ!」と思いみたんですが…なんといいますか「コレジャナイ!コレジャナイよ!」といった感じです。

 

 

 

監督は『300』『ウォッチメン』でコミック映画化の手腕に定評があるザックス・スナイダー。

製作はクリストファー『ダークナイト』ノーラン。

主役のカル・エル(スーパーマン)を演じるのはヘンリー・カヴィル。

この方は前作の『スーパーマン・リターンズ』でもスーパーマン役で候補に挙がってました。顎の四角い感じがとってもスーパーマンっぽくていいですね。

その他には敵のゾッド将軍にマイケル・シャノン。ロイス・レインにはエイミー・アダムス。ジョナサンとマーサ・ケント夫妻役はケビン・コスナーとダイアン・レイン。ペリー・ホワイト役はローレンス・フィッシュバーン、ジョー・エル役はラッセル・クロウとなかなか豪華です。

 

 

個人的に思うスーパーマンの特徴は、「生まれたときから希望の象徴として存在している」という部分だと思います。

極端に言えば「希望にすがりつくしか無い危機的状況に現実社会では決してあり得ない、映画の中だけでも現れて助けてくれる肉眼で見える希望」=「スーパーマン」といえます。

リチャード・ドナー版のスーパーマンもレスター版のスーパーマン2も「敵を倒す」事よりも「人を救う」事に重点を置いているように感じますし、予告でも今回の作品の冒頭でもその部分(希望)は強調さしていました。

なのでこの「マンオブスティール」もスーパーマンが「希望の象徴」として機能してくれればOKだったのですが、個人的には今回のスーパーマンは「希望の象徴」として機能していたかどうかは正直疑問符がついてしまいます。

 

前半部分の油田やバスを救うシーンはまだ良かったですが、後半部分にビルが倒れるシーンが有りますが、このような時にこそスーパーマンを登場させるべきなのではないかと思います。

それはまだ良いとしても、そのあとローレンス・フィッシュバーン演じる編集長達がビルに挟まれ危機一髪のシーンが有りましたが、その部分では画面に映っているのが主要人物三人しか映ってなかったと思います。

結果、この三人はスーパーマンに救われた訳ですが、この場所には他にも画面に映ってない一般の人々が居たはずです。その人たちを写さないと「あ、このスーパーマンは主要登場人物しか救わないんだなー」と思ってしまうと思います。

 

人物描写の説明の時だけ一般の人を救って、ここぞというと時に主要登場人物しか救ってくれないヒーローに「希望の象徴」を任せるにはちょっと荷が重いのではないか?と思います。

それならせめて、ゼッド将軍を倒した後に人を救うような流れにしないと最後の戦いの印象だけが残って「お金がかかったアメコミヒーロー映画」という印象しか持たないのではないかと思います。

別に「お金がかかったアメコミヒーロー映画」を否定する気は無いですが、少なくとも他のアメコミ作品、例えばアイアンマンなら「アイアンスーツ欲しい!」とかスパイダーマンなら「オレもイト出してぇー!」とか300なら「ディス・イズ・スパルター!」的な映画を見終わった後に心に残る印象がしっかりあれば全然良いのですが、今回の作品にはそのようなフックは個人的には無かったです。

 

あとこれは細かい部分ですが前半のトラックをボコボコにするのはやり過ぎだと思います。レスター版のスーパーマン2のラスト近辺でも似ている描写が有りましたが、あれはもっと茶目っ気があって観ている方も楽しく観れましたが今回のトラックボコボコはトラックがボコボコすぎて「うわぁ…カル・エルさん…激オコやん…」って感じです。

 

あとハンス・ジマーの音楽仰々しいすぎる気もしましたが、個人的には良かったと思います。

ケビン・コスナーは最高ですね。

予告編も最高ですね。本編の10倍くらい感動しました。

ラストの蛇足感はノーランがとってもノーランしてるなぁと思いました。